福寿草
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8はじめに 平成25年8月「わたしの滴一滴」自由題で募集があり友にすすめられ、何を書いてよいか悩んで、昔和気町に祖父母・両親が暮らしていたこと等書きましたのでその写真を載せました。「南無妙法蓮華経」の大きな石碑の下の方に建設委員を務めた周藤俊徳(祖父・和気銀行勤務)の名前がほってあります。父の祖母が助産婦でしっかり者で旧佐伯の奥の方に住んでいては娘の教育ができないと岡山市へ出て行き、一女(県立第一高等女学校)が出来るのを待って父の母を一回生で卒業させ、和気小学校教師(20年勤務)とし父は母親に教わった。そして父は歯科医院を、私が和気郵便局に就職した頃は、あなたのお祖母さんに教えてもらったよ。そしてお父さんは同級生優しい人でよく世話になったよといろんな方々から聞きました。お父さんに中学生の時この歯を治療してもらい今でも、もってるよとか話してくださいました。大正時代に祖父母が建てた家が今も和気にありますが、祖父母が最後に大阪にでて行く時手ばなし他人の家です。

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