福寿草
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29 小学校五年と六年の時担任していただいたT先生が病気で入院と聞き、友人とお見舞いに行った。先生は言葉があまり出ず、涙をポロポロ流され喜んでくださった。 私は小学二年で疎開してきたが、クラス皆が優しかったし、現在のようないじめはなかった。特に師範学校出のT先生は私たちが最初の受け持ちで、目が輝いていてすてきな先生だった。 ある日の昼食の時、Aさんと私は「放課後三階に来なさい」と言われた。説教の時はこの教室。「なぜ弁当を隠しながら食べたのか」と先生に聞かれた。Aさん宅は農家であり豊かな家だったが戦後は忙しく、きれいなおかずを入れることができなかった。私は非農家で、配給がメリケン粉ばかりの時があり、母が考えて流し焼き(今のお好み焼き)を弁当にしていて、二人とも「恥ずかしいので」と答えた。先生は「母親が一生懸命作ってくれた愛情入り弁当は正々堂々食べなさい」と私たちに強く言われた。 四年前のクラス会で、Aさんとその話をした。Aさんは後に小学校教員となり、児童にもよくこの話をしたとのことだった。先生、早くお元気になられて私たちのおしゃべりをまた聞いてください。先生のご退院を毎日お祈りしています。掲載日:2005年(H17)9月18日「ちまた」・68歳入院した恩師 早くお元気に

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