福寿草
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45 小学校五年と六年の時担任だった恩師が九月に亡くなられました。二年半前、脳内出血で倒れ、半身不随になって老人施設に入っていました。 四月十日、友達三人でお見舞いに行きました。私たちの話は分かるのですが、自分が話せないのでいつも泣かれます。食事介助して帰るときも泣かれ、「また来るからね」と別れました。 当時、師範学校を出たばかりのとてもすてきな先生で、私たちが最初の担任でした。先生の宿直の日は泊まりに行き、先生を真ん中に男子と女子が輪になって寝ました。私は夜中ふと目が覚め細目で見ると、先生は座って風邪などひかぬようにとの思いでしょうか、みんなを見ておられました。 作文などの提出物の後にいつも「頑張れ」と励ましの言葉が書いてありました。五年修了時に努力賞、卒業時には優等賞をいただき、あのうれしさは一生忘れません。中学校卒業まで通知簿を見にわが家まで来てくれました。 十月の夕刊に「千の風になって」の訳詞をされた作家新井満氏が故人と心の対話をしたいと思ったら墓参りをしたらいいと書いていました。私も先生、お墓に会いに行きます。 だんだんと寂しくなる日々です。掲載日:2007年(H19)12月12日「ちまたの風」・70歳恩師

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