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4 「瑞みず穂ほの国」と称たたえられた日本の“農”を支えた農地も農家も減少の一途を辿たどっています。 しかし、今を生きる私たちはもとより、日本の未来を担う子供たちのため、生存の基礎としての農、それは、光と土と水であり、人であり、伝統を重ねてきた農業技術であります。まさに農は、生いのち命の産業であり、加えて人がそこに住み、農に勤いそしむ姿があればこその地域です。これらは、しっかりとこれからも守りぬいていかなければならないと思います。 守り通すべきすばらしい風景、よく「景観十年、風景百年、風土千年」といわれますが、<人工的に造成した景観が、ある種の時間的淘汰を経て、次代に残る風景となる。さらに、時間的淘汰を受けて風土になる。「文明としての景観」を、「文化としての風景」に熟成すること。そのためには景観を風景に転化できるだけのゆったりした時間的生活と感性が求められる。(進しん士じ五い十そ八や)>という言葉が身に沁む思いがします。 私は吉備国おかやまの農のふるさとの風景を通して、日本とおかやまの農の今とこれからのありようを垣間見ることができると考えています。 そこには、木々茂る豊かな森があり、源流の清らかな流れがあり、中山間の棚田があり、南部の広い稲田がありました。同時に、雑草におおわれた耕作放棄地も多く見られました。 そして、夫婦で、親子三代で、あるいは一人っきりで農作業に勤しむ農家の姿がありました。そこでは、白桃やマスカットやピオーネが、お米、千両なす、黄ニラが、ダイコン、白菜、黒豆等が育っていました。 そうした「吉備国農の風景」を皆さんの目に焼きつけていただき、農の大切さ、今後のあるべき方向についてしばし、心を寄せていただく“よすが”となれば幸いであります。                  平成25(2013)年5月吉日                       村上 進通

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