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14復元された古代山城、鬼ノ城西門。 総社市奥坂 (H24.8.7) 岡山県は北に中国山地、中部に吉備高原が広がり、南にゆるやかに傾斜して平野部に続き、瀬戸内海に面しています。そして、東から吉井川、旭川、高梁川の三つの大きな河川に恵まれ、県中北部の盆地や県南の広大な沖積平野が独自の吉備文化を生み、育んできました。 吉き備びの国くには、現在の岡山県と広島県東部、香川県の島嶼しょ部の一部、そして兵庫県の西部にまたがる一大王国だったのです。 吉備国は、持統3(689)年、備前、備中、備後の三国に分割され、さらに、20数年後の和銅6(713)年には備前国から美みまさかのくに作国が分立されました。平成25(2013)年は、美作国建国1300年にあたります。 “古代吉備王国”は、農耕に適した肥沃な大地と豊かな水量を誇る三大河川、恵まれた気候、そして中国山地のたたら製鉄、さらには瀬戸内に面し、大陸の文化を受け入れるのに有利な位置にあったことなどによって大和に対抗し得る強大な王国となったと考えられています。1 古代吉備王国 ─鬼ノ城からの風景吉備国の風景

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